Honda Noriko
photographer / visual story teller
I am a photographer who creates visual stories using photographs.I hope to reflect them in society.
私は個人の暮らしの中で起きる疑問や感情を、写真を使った視覚的な物語として綴ることで、社会へつなげていきたいと考えています。
光の恢復
人は困難に直面した時、どのような道筋を辿り恢復していくのか。
再び生きる力を、喉が渇き水を求めるように必要とする人は、どこに光を見いだすのか。
その希望の光を増幅させるための力や支えは何なのか。
私はずっとそれを知りたいと思ってきた。
妹は6年ほど前に大きな病気をして、生死の境を何度も彷徨った後、この世に戻ってきた。
そのため、妹は脳に障害があり、日々できることとできなくなったことをさぐりながら工夫を重ねて暮らしている。彼女の手探りの毎日は、初めての街を遠い目的地に向かい地図を持たずに歩くのに似ている。
妹はちょっと気になるものがある時、手で触って確かめる。目で追う。そして周りの音に、じっとして耳を傾ける。いろんなことがゆっくりになった妹。それは脳が外からの情報を処理するのに時間がかかるようになったからだが、再びこの世に戻ってきた彼女が、もう一度生まれなおした体を使い、新しい世界を知ろうとしているように私には感じられる。外からは不安定で頼りなさげに見えているとしても、彼女は眠りの中にすら、変化への無限の可能性への道を開こうとしているのかもしれない。
時として不安に揺れ動く妹の傍らで、私は家族のアルバムを見返す。
そして病床の記録から始まった彼女の時間を私が写した写真は、父母が私や妹に向けたこの瞬間を大切にしたいと願う視線と重なっているのではと気づく。私もファインダーを覗き、妹を注意深く見ようと静かに待ち続けていた。そして待つことは祈りに近づいていく。
毎朝、父母の位牌を祀っている仏壇の水を替え、手を合わせるのは妹の日課だ。
その時、この世にもういない父母と話をしているのだと彼女は言う。
仏前に供える水「あか(閼伽)」はサンスクリット語の「アルガ(argha)」からきている。
その言葉が西方に伝わり水を意味するラテン語の「アクア(aqua)」となったと言う説があるそうだ。また、キリスト教では卵は新しい命を指す。死という硬い殻を破り、復活する命の象徴でもある。
私はこの作品で、切実とセンス・オブ・ワンダー、血の絆のもつ祈りの連鎖の表現を試みた。
周りを囲む鎖編みの赤い毛糸の束は妹が編んでくれた。私にはその一目一目に、彼女の過ごしてきた時間とその時の気持ちが編み込まれているように見える。
色褪せた写真と記憶は近い過去と絡み合い、父母を通じて親族の祈りともつながっている。
私は毛糸の束をそっと握り、再生の力と血縁の不思議を思う。